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41件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1957-05-11 第26回国会 参議院 内閣委員会 第31号

と申しますのは、五等級については、給仕、昇降機手小使清掃婦技能職員、これは見習補助となっていますが、四等級については、小使長守衞、技能職員、こういうふうに、技能職員見習補助であって、それが当然技能職員になるわけです。こういうようなことから、四等級と五等級を分けるということの意味はどうも納得できない。これは当然一本化すべきだと思うのです。この点についてお伺いしたい。

伊藤顕道

1950-11-30 第9回国会 衆議院 人事委員会 第5号

慶徳説明員 どうもこの問題は率直に申し上げまして、大体御指摘になりました警察官であるとか、警務官であるとかいうものは現在でも勅令によつて定められておりますので、これは比較的明確にわかるのでありますが、たとえば守衞であるとか、小使であるとか、掃除夫であるとか、いろいろなものが山ほどたくさんあります。

慶徳庄意

1950-04-19 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第58号

今のような、例えば衞視というような正式の警備の扱いというのでなく、守衞というものをそこにおいて置くという方法は、現在のような状況でありますと、普通の今の職員配置勤務方法で或る程度やれるわけなんであります。ただはつきり議長警察権としてやつて今の警務部衞視配置するという方法をとる場合は、こちらの警備配置と、そういう方向によりまして勤務條件が変るわけであります。

近藤英明

1950-03-29 第7回国会 参議院 懲罰委員会 第2号

こういう名前を挙げて宣言をいたしますると、その人は直ちに守衞長によつて室外に拉致されるということができるようになつておる。事実はないかも知れませんが、守衞長がみずからその時にこそ自分達の仕事が起る。こう言つておりました。こういうことが物語になつておるくらいでありますから、結局実態は平穏無事に行つておるというふうに存じました。一面において非常に訓練がよく行き届いておると、こう思いました。

金森徳次郎

1950-03-29 第7回国会 参議院 懲罰委員会 第2号

その代り守衞長と申しますか、サージエント・アツターム、これはこちらでは守衞長という観念が非常に低く考えておりますが、向う守衞長というのは非常な権威のあるものでございますから、これが議場内に着席しておりますのを見ましただけで、その他議員場内に警備のための人員が配置されるというような状況は見ませんし、事実その必要はないだろうと思います。

近藤英明

1950-03-29 第7回国会 衆議院 労働委員会 第11号

その結果は、あそこは賠償指定工場に指定されておるというような事実もありまして、守衞に棒を腰にぶらさげさせろということで、ぶらさげさしております。それでわわの方で監督官を派遣いたしまして、監督はしておるのでございますが、もちろんぶんなぐらなければ強制労働にはならぬというものではないと思います。

堀秀夫

1950-03-29 第7回国会 衆議院 労働委員会 第11号

○高橋(一)政府委員 同じことを御答弁するようになるかもしれませんが、守衞が單に棒を持つておるということだけでは、どうも違反としてそれを訴追する程度には至らないように存ずるのであります。もしそれまでも、どうしても国家の法律でもつて処置しなければならないということでありますれば、やはり別個の法律を要するだろうというふうに考えております。     〔福永(健)委員長代理退席委員   長着席〕

高橋一郎

1950-03-29 第7回国会 衆議院 労働委員会 第11号

日本国中の工場で、守衞が全部警棒をぶらさげてもいいとなつたら、日本中監獄になつてしまう重大問題だと思う。そういうことが許されるか。おしまいにはピストルも持てるということになるかもしれぬ。えんなことになつたらたいへんだ。少くも日本労働者がそういうような労働環境において——以前は巡査だけがピストルを持つてつたが、それは武器に類するものだ。

春日正一

1950-03-20 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第41号

から途中から後まで、終始僕は委員会にいてよくすべてを通察しておつたのですが、ずつと今議長から出されたものだけについて言つてもですね、これを見ましても、私は明らかに見ていたところ、木村君にしろ、もう一人の代議士にしろ、衞視人達徳田書記長を防護しようという非常な好意的と言いますか、そういう職務的な態度でいられたために、後ろにいた代議士が、見えないので、ちよつと見えるように動いて呉れと言つたところ、守衞

兼岩傳一

1950-03-20 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第41号

○兼岩傳一君 つまりもの好きにいい加減に普通の意味傍聽に来ているのではなくて、この委員会を、国会議員としてこれを十分に観察するために来ておるので、従つて守衞の存在のために見えなくなつたものだから、見えなくなつちやつて困るから、一つどいて見せて呉れという要求が木村代議士その他から出て、ところがそうしたら直ぐ、あなたが見えなくなつて文句があるなら外へ出ろと、こういうふうな問題に発展したと言つているのです

兼岩傳一

1950-03-18 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第40号

これはよしんば特別委員会議事が紛糾いたしまして、いろいろ混乱をした際においての、苟くも衆議院議員が参議院の委員会において傍聽しておつて守衞を殴打するということは絶対にあるべきことではないのでありまして、これは仮に自由党議員であろうと、民主党の議員であろうと、我々はやはり断乎たる態度を以つて臨むべきである。

中川以良

1949-11-11 第6回国会 参議院 法務委員会 第1号

この入口は守衞証言によりまして、当日鍵がかかつてつたので、誰も入つているとは認められないのであります。それから只今のは三階の方でありまして、二階の窓の方は都議会議員待遇室という部屋でありますけれども、そこの職員や、それから警察官警察吏員証言などによりまして、問題の起りました当日午後八時頃から十時二十分頃までの間には誰も入つていないということになつております。

高橋一郎

1949-10-24 第5回国会 参議院 懲罰委員会 閉会後第5号

それで先程のお話によりますと、そこにはもう守衞が上りかけておつた頃でしようから、その前に行つて、すでに、まあ同時に行つたかどうか分らないけれども、数人の中に板野君がおられたように実は証言しておる。外の人達も実は証言しておられるので、私は今までそういうふうな方々の中の一人として板野君がおられたのだというふうに実は考えておつたのです。

鈴木直人

1949-10-24 第5回国会 参議院 懲罰委員会 閉会後第5号

そうしてここに行つて交渉したのは、自分が別の所で交渉しようと思つたところが守衞その他が沢山いるためにそこへ行けないので、今の所に行つて交渉したというお話に私は疑問を生じたんです。それはなぜかと申しますと、小委員会として特に活躍され、そうして小委員会を開かないでベルが鳴つてそうして議長がこの議場にお入りになられるということも、特に責任感の深い板野議員は御存じの筈である。

鈴木直人

1949-09-12 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第35号

それで私は日本共産党代議士田中堯平であるがということを言つたところが——実は守衞所が入る右のところにあつたので、そこに入る手続をとつてもらおうと。守衞所をのぞいてみたのですが、守衞らしい人もおらぬし、労働者の人やらあるいは新聞記者ではあるまいかというような人たちが、何でも四、五人ばかりおつたのです。

田中堯平

1949-07-19 第5回国会 衆議院 労働委員会 第22号

しかるに午後一時ごろ守衞所より臭との直通電話で、小生のうちに電話がかかつて來た。当時本事務所の前の廣場には、全組合員が池を囲んで集合し、組合大会を開いていた。この池は、この池の中の小島に押し込められて人民裁判を行われたそれでございます。その池の周辺に大衆が大会を開いておつた。私は電話終つてボックスから出ると、すでにボックスから池の方向に、二重のスクラムで人垣ができておりました。

吉武恵市

1949-07-07 第5回国会 参議院 議院運営委員会 閉会後第2号

それで後に立派な道もございまして、そこでやるようになつておりましたが、特に初め柔道と両方併せいたさせましたのですが、柔道の方は大体十台の頃からいたさせますと非常によろしいのでございますが、守衞を採ります年配の関係もございまして、途中から始めますと実は事故が多くて困りましたので、それで柔道の方は余りやらずに、劍道の方に集中するようになつたのであります。

近藤英明

1949-05-31 第5回国会 参議院 本会議 第39号

最初カニエ君がこちらから参りましたときに、誰か守衞の一人が間を開けたのです。その間を開けたときにすべり込んだ男があるのです。この守衞が、カニエ君が議長の前に突込んだと言つて北村一男議員報告したのであります。これがカニエ君が議長の足許に行つて議長を阻止したということになつたのであります。私はこれが最後に分つたのであります。成る程ええことを聞いたと自由党の方はおつしやつたのでありましよう。

大野幸一